アバターEPC Japan公式サイトに投稿していただいた当ブログ管理者へのインタビュー記事を転載しました

中島さんにとって、アバター®︎って何ですか?

かけがえのないものです。
元の職業は看護師です。特に人のエンドオブライフのステージに深く関わりを持ってきました。

そういった人生の終末の時期になってから「その人らしく生きるためのケアの提供」をまわりが努力ベースで実践するには限界を感じていました。

もっと健康な状態の時に意図的に自分の人生を生きていられたら、どんな状況にも左右されずに自分をコントロールすることが可能だろうと感じています。

人には外側から触れることのできない意識の領域があります。

なので、人生の少しでも早い段階で自分自身が源になって人生を選択できる。

元気に生きているうちに生まれ変わるような経験を。


それが可能なのはアバターテクニックしかないと思っています。
 

「アバターマスターになってよかった」と感じる瞬間はどんな時ですか?

これ以上の仕事はないと思っていますし、魂が喜んでいます。

受講生さんが、アバターを使うことで、深刻だった状態からその外側に出てきて、軽くなる瞬間ですね。


心の中で「ほんまによかったなぁ~~~っ」って感動しています。

そういった瞬間の連続です。
 

アバターマスターになって、中島さんの何が変わりましたか?

リラックスして人と繋がれるようになったことです。


マスターコースで人と繋がるテクニックを習った時には、ずっと探し求めてやまなかったものにやっと出会った!!という感じです。
 

以前の私は、人と関わる仕事をしてきた中で、「自分がなんとかしなくちゃいけない」という柔軟さに欠けた頑張りと緊張で固まっていたと思います。頭の中は思考で一杯なのに心は空虚な感じ。


仕事の休暇を取っては、意識が変わるかと思ってモンゴルの大草原で乗馬キャンプに参加してみたり、冬の雪山スキーで大自然に身を置いてみたり・・。


15年ほど色々試してみましたが、場所を変えても意識の変えたい部分はいつも自分の中についてまわり、共にあったままでした。

 
マスターコースのテクニックを使っていくうちに、緊張と頑なさを責任感にひっつけて勘違いしていたことに気づいたと同時に、自分と目の前の人との間にある見えない壁のようなものが溶け去り、本当にリラックスした状態で人や自然とも繋がれるようになりました。



高校生の時に一時めざしたカメラマンの道。結局違う職業を選びましたが、カメラの技能が芽生え始めたのもマスターコースの後からです。


眠っていた能力が目覚めたのだと思います。


今ではコース会場のカメラ係としてありがたく会場のどこを切り取っても目覚めや感動の瞬間の数々・・・激写し世界にお届けしています。


 
人としてまだまだ伸びしろたくさん。いろいろな面で成長し、意識をストレッチさせていきたいです。

中島さんがマスターとして大事にしていることはなんですか?

人に対する敬意です。

どんな瞬間も、かけがえのない人として尊重し安心安全なスペースを創ることや、その人の可能性を信頼することを大切にし、その為に研鑽を続けています。

アバターマスターのチームってどんなチームですか?

世界中に存在しています。それはもう多種多様で、世の中に存在するあらゆる分類を超越していると感じています。

勇敢で、誠実さを向上させ続け、自ら進化し、慈しみがあって、それでいてユニークなチームです。

これからのビジョン(挑戦したいこと)

人としてありのままでも安心して生きられる世界を!

私は物心ついた頃から家族の不和を感じてきた中で、自分はどこからきたの?ここにいるのはなぜ?これからどこに行くの?生きるとか死ぬってどういうことやろう、、。とよく考えていたように思います。

優劣やジェンダー、どこの国がルーツかなどの、価値判断や分類に対して自分の内側と向き合って融和させることを使命のように感じています。


人間関係、特に親子関係でしんどい人(親も子供も)、また他者への貢献の意図で始めたけれど燃え尽きそうなエッセンシャルワーカーの方々にアバターコースをお伝えして仲間を増やし、この惑星の調和へ一雫ずつ進み続けたいです。